永山 則夫「異水」

永山 則夫「異水」

永山 則夫連続殺人事件の話で「守口市の米屋」「米屋 米福」「福屋米店」「福屋米穀店」などなど言われておりますが、守口市にある「米福屋」当店で事件前に住み込みで働いていました。

残念ながら事件はもちろんのこと、彼が働いていた当時のことを知る人がもう誰もいなくなってしまいました。

当初はうちで住み込みで働いていたと言うことで連続殺人者である彼が当店にとって汚点でありタブーとされておりましたが、米福屋の長い歴史の一部として、そして、著書「異水」で当店のお店のことと先代と先先代のことも多く書かれており、気さくで親切で温かみのある先代たちのことが書かれていて誇らしく恥じないことと思い記載しました。

また、獄中でいろいろ著書された彼は印税を被害者へ送るなどされていて、死後は、彼の遺言により弁護人たちより「永山子ども基金」が創設され、著作の印税を国内と世界の貧しい子どもたちに貧しさから犯罪を起こすことのないようにとの願いが込められて寄付されています。

そういう彼の面もあり出版しているのが少しでも子供たちの元へ行くのであればとも思いました。 そして、刑は執行され彼は罪の償いをほんの少しでもしたと思います。

 ※ほんの少しでもと表現しましたが、あくまでも中立な立場として、そして4人も亡くなられた被害者の方のことも考えると自分はこうです。とは言えず、あやふやな気持で書いたことをお詫びいたします。現在もこうするべきだとか、この事件は解決したなど自分の中では結論がありません。

「異水」の場面に、米福屋の前でみんなと集合写真を撮り自分だけ目をつぶってしまって、まるで自分じゃないみたいだと書かれていた写真が、家に普通に飾ってあり先代も先先代もそのことを何もまったく言わず、異水を呼んでそのことを思い出しあらためて集合写真を見て大変驚きました。
 ※2023.9.26追記 集合写真ですが、2023年10月末に共和国さんが発行される「永山則夫小説集成」で集合写真を見に来ていただき当時を知る関係者の方に見ていただきましたが、残念ながら永山則夫は映っておりませんでした。ただ、集合写真と言うのはこれ以外には存在しないので推測になりますが、そのような写真を撮ったことを聞いて書籍に取り入れたのかもしれません。
ただ、当時住み込みで働いていた他の写真も拝見いただいたら、本人が映ってる写真が出てきました。当時の写真はほとんど無く非常に貴重だと言うことです。「永山則夫小説集成」に掲載されると思います。

永山則夫小説集成 全2巻

父は東京へ上京していた時に、偶然永山則夫にばったり会ったと良く話をしていましたが、それもこの本を読んでびっくりしました。

異水

●永山 則夫

●永山則夫連続射殺事件

・横須賀市の在日米軍基地内の住宅からピストルを盗取。

・1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺。

永山子ども基金

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